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山口の伝説 人にまつわる話

『厚狭の寝太郎』 山陽小野田市〜

 今からおよそ500年前、大内氏が周防・長門一帯(山口県)をおさめていたころのことである。厚狭(あさ)の里に、村一番の長者がいた。この長者に、ひとり息子で太郎という若者がいた。太郎は、昼となく夜となく、毎日毎日寝たばかりいるので、村人たちから「寝太郎(ねたろう)」と呼ばれ、あざけられていた。

 毎日ごろりごろりと寝て暮らしている寝太郎には、父親はずいぶん困って、いつも「困った、困った。」とくり返していた。こうして、三年と三月の間寝て暮らした寝太郎は、ある日、ひょっこり起き上がって、「お父っさん、すまんが、千石船を1そうこさえてつかあさい。」と言った。「なに、千石船を作ってくれと。お前、まだ夢の続きでも見ちょるんか。」と、父親は相手にしなかった。けれども、かわいいひとり息子の頼みだ。それに、三年と三月も寝ていた寝太郎が頼むことだから、何か考えがあるのかもしれんと思いなおして、寝太郎のいうように、千石船をつくってやることにした。すると、また寝太郎が、「船いっぱいのわらじをこうてつかあさい(買ってください)。」と、頼んだ。

父親は、またもびっくりして、「困った、困った。」といいながらも、わらじを村じゅうから買い集め、千石船に積んでやった。すると、また寝太郎は、「おとっさん、たっしゃなかこ(水夫)を8人やとってつかあさい。」と、頼んだ。父親は、わけもわからずに、村のかこ(水夫)の中から8人のたっしゃな者をやとってやった。寝太郎は、大喜びで8人のかこ(水夫)をつれ、千石船に乗りこんだ。父親は、どこへ行くのかさっぱりわからないまま、厚狭(あさ)川を下っていく船を、ぼんやり見送っていた。

やがて、船の姿が見えなくなると、「ほんに長者さまもお気の毒じゃ、寝太郎が起きたと思うたら、ふらっと海へ出てしもうたわ。」 「宝船の夢の続きが、してみとう(してみたく)なったんじゃろう。」 「わらじいっぱいの宝船たぁ、とんだ宝船じゃのう。」と、あちこちで村人はかげ口をたたいた。

 厚狭を出てから、10日たっても、20日たっても、寝太郎からはなんの音沙汰もなかった。父親は、気をもむばかりだった。とうとう40日目の朝がきた。その日の明け方になって、ひょっこり寝太郎の千石船が戻ってきた。遠方まで航海したらしく、大きな白帆もずいぶん痛み、かこ(水夫)たちもひげぼうぼうで、ずいぶんと疲れているようすだった。


そんな中で、寝太郎だけは変わった様子もなく、ひとり元気だった。心配そうに出迎えた父親を見ると、寝太郎は、「おとっさん、いま帰ったぞ。大きなおけをたくさん、急いで作っちょくれ。ついでにすまんが、村の手すきの人に手伝どうてもろうよう(手伝ってもらうよう)、頼んじょくれ(たのんでおくれ)。」と、言った。

父親は、息子が元気で戻ってきたので、なにがなんだかわけのわからないまま、寝太郎の言うとおりに大きなおけを作ってやった。それから、はずかしい思いをしながら、村の衆に頭を下げてまわり、手伝いの人をよび集めた。寝太郎は、手伝いの人たちに、並べたおけいっぱいに水を入れさせると、こんどは船からたくさんのわらじを運び出させた。出かける前に積みこんだときには新しかったわらじが、どれもこれも、どろんこのすりきれたわらじに変わっている。

寝太郎は、びっくりしている村人たちに、「さあみんな、このわらじを、かたっぱしからおけの中へほうりこんでおくれ。」 「さあ、どろを洗い落とすんじゃ。すすいだら、わらじは捨ててもええが、残ったどろ水は、大事にしちょくれ。さあみんな、洗うて洗うて。」と、指図した。それから3日3晩、大変な仕事が続いた。「とんでもないことよのう。寝太郎が起きたばっかりに、ありょう見い、なんちゅうことじゃ。」村人たちは、長者に同情したり、寝太郎にあきれたりした。

わけのわからないわらじのどろ洗いがすっかり終わると、寝太郎は、にこにこ顔で、「そろーっと、そろーっと。」と、言いながら、村の衆に、おけの中の水を少しずつ捨てさせていった。水がだんだん減ってきて、おけの底は見えてきた。よごれた水の中にきらきらと光るものがあった。村の衆は、こんどはせわしくおけの水を捨てはじめた。

寝太郎がおけをのぞきこんだ。「やったぞ金じゃ、金じゃ。」寝太郎は、とびはね、手をうって喜んだ。村の衆もかわるがわるおけをのぞきこんだ。はじめて見る金に、村の衆は、すっかりおどろいてしまった。やがて、寝太郎といっしょに千石船に乗ってきたかこ(水夫)たちは、「寝太郎め、佐渡島(さどがしま)へ着くなり、新しいわらじと古いわらじをただでとりかえちゃげるから(とりかえてあげるから)と、島じゅうにふれ歩いて、古いよごれわらじを集めよっておったが、やっとそのわけがわかった。」と、口々に言って感心した。村人たちも、こんどは、「寝太郎はえらいやっちゃ。」と、口をそろえて言った。

そのころ、佐渡島では金がとれた。幕府は、金を守るために、ひとにぎりの土でも島から持ち出すことをきびしく禁じていた。寝太郎は、なんとかしてその金を手にいれることはできないものかと、三年三月の間、だれにも言わず、寝ころんで、考えていたのだ。

寝太郎は、もうけたお金で厚狭川をせきとめ、大井出(土手)や用水路を作った。千町ヶ原(せんちょうがはら)と呼ばれる荒れはてた沼地は、りっぱな水田に生まれ変わった。寝太郎は、この水田をそっくりそのまま村の百姓たちに分けあたえた。村人たちは、わが村の寝太郎様じゃとあがめ、寝太郎が死んだあとは、千町ヶ原のまん中に石し(ほこら)を建てて祭ったという。

千町ヶ原は、その後、大かんばつの年でも、豊作であったという。この地では、毎年四月三日に、寝太郎祭りが行われる。人びとは、そろいのはっぴ姿で、「サァサおどろよ 三年三月 寝太郎様も起きておいでませ」と、寝太郎音頭をおどるのである。

      引用文:笹井 芳子






 
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